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アープ・トーマス博士の親友である小森丈輔氏は、合衆国に約20年間滞在し、日本に帰国するに当たりトーマス博士の勧めにより、トーマスバクテリアを大量に輸入し、アープ研究所を新しく増築し,帰国後、大正14年(1925年)頃よりバクテリアの販売のために、日本全国でバクテリアを使用しての堆肥作りの説明に行脚し、バクテリアを堆肥に使用した農家は、優良作物の増収の結果に驚き、数多くの感謝状が寄せられました。
しかし、昭和の初期より日米間の物質の交流が減少し昭和5年(1930年)頃には貿易は殆ど途絶し、バクテリアの入手も出来なくなり販売不可能となる一方、終戦とともに、親しくしていたマッカーサー司令官の要人より日本政府に対して、田畑の荒廃をトーマスバクテリアの力を利用して、土壌の回復を計ることを伝えるよう要請されたが、日本政府は農林省と相談の結果、日本にも適当なる資材があると拒否し、司令部の申し込みを円滑に辞退しました。当時わが国に於ては、化学肥料製造会社の再建途上であり仕方なかったのでるが、今日の状態を思えば、真に残念な行動でした。
晩年の小森氏は、バクテリアの事に関しては、一切を岩井氏に委任しました。その後、2世アープ・トーマス氏との文通が始まり、昭和50年(1975年)4月に岩井氏は、渡米してトーマスバクテリアの日本国内の独占販売権とトーマスダイゼスターマシーンの製造権の契約を締結し、以後、バクテリアを輸入し、培養・販売に取り組み努力しましたが、当時日本の農業は、化学肥料の万能時代であり、地力を造るバクテリア利用の有機農法は無視され続けました。そのためバクテリア利用は経済的理由もあり、アメリカからの輸入も3年ももたずに中止となり、輸入権も自動的に無効となり、その後、永年トーマスバクテリアの利用研究のみを試みていた「曽田氏」の処に、元権利者の岩井氏より、2世アープ・トーマス氏の体調悪化と老体を理由に、日本側に権利を譲渡しても良いとの話が持ち上がってきました。
曽田氏は、日本の農業また、環境問題に取り組む信念で再々に渡り、2世との交渉の結果、全ての権利(種子菌・培養方法・国際権利など)の獲得に成功し、現在、アープ・トーマス曽田研究所を設立し、農業及び環境問題にトーマスバクテリアを主軸とした研究に専念しています。
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